患者様の声

※患者様の人工股関節手術体験談を、ご本人のご了承の上で掲載いたします。

MIS手術をして

石井 千恵子 様 愛知県

平澤先生、平成25年4月27日に、両股関節のMIS手術をしていただき、本当に本当にありがとうございました。この手紙を書いていても、嬉しくて涙が出ます。少しですが、私のお礼の気持ちを書きます。

私は運動が大好きで、子供を出産してからも、空手、ソフトバレーをしていました。しかし、12年前位から腰が痛くなり、自分は腰痛だと思っていたのですが、日に日に両股関節が痛くなっていったのです。

6年前に右股関節の手術をした実母に、「あなたは生まれた時に両足脱臼していたから股関節が悪いかもしれないよ。」と言われ、近くの整形医でレントゲンを撮って貰うと、やはり両股関節が大分悪くなっていました。仕事をしても寝ていても、歩くことも何をしても両股関節が痛く辛い日々でした。

平成24年10月、インターネットでMIS手術の出来る病院を探し、神奈川県まで行きましたが、医師には私の「気持ち」が上手く伝わらない感じだったので、そこでの手術は躊躇してしまいました。私が悩んでいると、夫が茨城県水戸市にある「北水会記念病院」を見つけてくれました。何と「術後してはいけないこと」「退院後の制限は原則として無い」と書いてあったのです」。

夫に進められ、平成24年11月、愛知県に住んでいる家から5時間かかる茨城県水戸市にある「北水会記念病院」に杖を突きながら娘と2人で行きました。

平澤先生に診察してもらうと、「やはり壊死していますね。よく今まで我慢しましたね。」と優しく言っていただき、涙が溢れ出ました。そして、平澤先生の言葉に私達はびっくりしたのです。「(あなたに関しては)脱臼したら訴えてくれていい」と。

私は、もう手術をして貰うのは平澤先生しかいないと思い、その日に手術日の予約を決めました。

平成25年4月27日、手術は両足なので4時間かかると聞いていましたが、3時間位で終わったそうです。次の朝、平澤先生が病室に来て、「筋肉も骨も凄いです。」と言ってくれたんですが、「それ誉め言葉?」と思ったりして…… そのお陰なのか、初めてのリハビリも、往きは車イスでしたが、帰りには歩行器で病室まで来ました。術後3日目には2本の杖歩行、正座も出来ました。入院中の3週間、1日2回のリハビリも、担当の理学療法士、細谷先生とも気が合い、とても楽しく出来ましたし、一歩、一歩、歩けるようになることが、とても嬉しかったです。

退院後は通院も無く、家でのリハビリの自主トレのみで、杖も一度も使いませんでした。仕事は漁業で、夫は潜水夫、私は船頭で、娘の付添い有りですが、術後2ヶ月足らずで復帰できましたし、6ヶ月後には友人と山梨県まで一泊旅行にも行きました。

1年経った今では、足に何の違和感も無く、バリバリ仕事をしています。

愛知県の渥美半島田原市から、茨城県水戸市は遠かったですが、本当に平澤先生、細谷さんとの出会いに、只々嬉しく運命を感じました。平澤先生のMIS手術により、両股関節の痛みから救っていただき、「普通の生活」を蘇らせていただき、本当にありがとうございました。これからが2度目の人生。私には何もかもがバラ色に見えます。考え方は色々ありますが、痛みの無い人生は素晴らしいことです。

もし、2度目の手術があれば、又、平澤先生にお願いします。

10月は検診がありますが、旅行気分で先生にお会いできることを楽しみにしています。忙しい日々だと思いますが、体には気をつけてくださいね。

人工股関節手術体験談

T.S. 様

私が変形性股関節症と診断されたのは6年ほど前のこと。時々左足の付け根に軽い痛みを感じ、地元の整形外科病院での診断だった。その時は運動療法の指導だけで、普通に歩けていたのであまり気にしていなかった。ところがそれから5年後、急に左足の付け根が頻繁に痛くなり症状は急激に悪化。3か月ほどの間に杖無しでは歩けなくなってしまい、痛み止めの薬も効かなくなり、夜寝ていても痛みを感じるように。ある時左足の長さが短くなっていることに気づき大ショック。そして左足をかばっていたせいか右股関節も痛くなってしまい、両足悪くなってしまっては大変と思い平澤先生の診察を予約した。

実は平澤先生は妹の執刀医。妹も同じ病気で平澤先生に手術して頂き、今は人並み以上に元気に動き回っている。平澤先生の豊富な執刀経験と実績、手術をする時は平澤先生にと決めていた。診断は変形性股関節症の末期であることが告げられた。しかし52歳で人工股関節を入れるということは再手術の可能性があり、決心がつかずに痛みに耐えつつ毎日毎日思い悩んでいた。

診察の日、待合室で人工股関節の手術をしたおばあちゃんに会った。「だめになったら又入れ替えればいいんですよ。手術も全然痛くなかったし眠っているうちに終わっちゃった。」と。おばあちゃんの言葉がまだ手術の決心に心揺らいでいた私の背中を押してくれた。平澤先生は私のたくさんの質問にひとつひとつ率直な答えを返してくださった。先生と話しているうちに不安が払拭され手術日を決めた。手術まで2か月半、その後は手術に対する恐怖心が消えていた。そして手術の数週間前、自己血400mlを2回貯血(現在の手術では1回で十分になっています)。

そして手術前日入院。看護師さんによる入院診療計画と手術当日の説明、リハビリ室で術前の股関節機能評価を測定。手術前日の緊張は全く無く熟睡。

~手術~

ふと、左足の付け根あたりをひんやりしたもので拭かれているのを感じた。左足の股関節の動きを確認されているのがわかった。「終わりましたよ~、目を開けてください。」と言う声が聞こえた。目を閉じていたのはほんの一瞬のように感じた。痛みは全く感じなかった。手術台の上で麻酔から醒めると、平澤先生は私に「アクアラ入ったからね~」とにっこり。その後病室のベッドに戻ると重だるい痛みがあり、座薬を入れてもらうといつのまにか眠っていた。

翌朝、看護師さんが検温に来て目が覚めた。昨日の痛みはうそのように消え気分も上々。朝から普通に食事が出て完食。右手の甲と腕には点滴の針が刺したままだ。午前中からリハビリ開始。車椅子の乗降とトイレへの移り方。午後は車椅子でリハビリ室へ。平行棒につかまり片足30㎏荷重する練習。U字歩行器につかまりもう歩く練習。あれほど痛かった股関節の痛みは消え、短くなっていた左足の長さも右足と同じになっていた!感動~!病室に戻るとおしっこの管も抜かれひとりでトイレ。術後2日目の夕方には点滴の針も腕から外され、4日目からシャワー、術後10日目に抜糸(現在は7日目になっております)。傷痕は想像していたよりもずっと小さく、ムカデのような縫い目は一切無く、平澤先生の技術の素晴らしさに感動~!

入院生活は衛生的な施設で快適に送ることが出来た。食事は暖かくメニューも豊富で毎食美味しく完食。上げ膳据え膳で最高!リハビリは午前と午後各1時間、先生方は皆フレンドリーで楽しくリハビリを進めることが出来た。術後辛かった事といえば、術足が熱をもって象足のように腫れて痛かったこと。同時に腰からおしりの裏側にかけて紫色のあざが出現!内出血で皆が通る道で時期がくれば治まってくる。内出血は太もも、膝、ふくらはぎ、足首、足の甲、足指へと徐々に下がっていく。私の場合腫れと痛みが治まるのに2週間かかり痛みでU字歩行器と杖2本歩行からなかなか脱出できなかった。やっと杖1本歩行になった頃、まだ杖無しでは歩けなかったが術後3週間で退院。

自宅に戻り車の運転も難なく出来、術後1か月で杖をつきながら仕事に復帰。リハビリは日常生活を自分ですること、週末プールで歩くことだった。そして術後3か月検診。股関節前側の硬さがとれず杖を離せずにいた私に「まだ杖ついてるの?ちょっと杖無しで歩いてみて。」と先生。すると「歩けた~!」そして術後4か月が経った頃には股関節前側の硬さもとれて杖無しで歩けるようになっていた。ゆっくりと日々の生活を送ることで自然と生活に必要な筋肉も戻っていた。術後1年検診の頃には、股関節の手術をしたとは思えないほど普通に歩けるようになっていた。そして改めて平澤先生の技術の素晴らしさを実感!それは「術後の禁止肢位が全く無いということ」。脚の手術をしたことを忘れるほど、以前の生活に戻ることが出来たのだ。

私が手術の決心をした一番の理由。それは、私が恋してやまないイタリアへ、足が痛くて行くことが出来なくなってしまったからだった。そして術後1年半の2013年末。私は復活した脚でイタリアへ飛んだ!街全体が世界遺産の美しいフィレンツェの街並みを自分の脚で歩き、ミラノの大聖堂で年越し!「痛み無く歩けることの幸せ」を噛みしめた新年だった。この幸せはすべて平澤先生のおかげです!経験に培われたオペの技術の素晴らしさはもちろんのこと、人間的に信頼できるドクターに巡り会えたことが私の最大の幸運です!そして優しい看護師さん達と理学療法士の先生方、病院スタッフの方々、私の背中を押してくれたおばあちゃん、平澤先生と出会わせてくれた妹、サポートしてくれた家族、すべての人々に心から感謝感謝!

「痛みの無い生活」をありがとう~!「La vita e’bella!!」(イタリア語で)人生は素晴らしい~!

両側人工股関節置換術を経て仕事を再開

A.R. 様 茨城県つくば市

平澤先生、そして平山さんや鈴木さんをはじめとするスタッフの皆様。先の手術とその後の2週間は、ほんとうにお世話になりました。両側術後2週間の退院はかなり早めということを聞きましたので、その後、無事仕事が開始できた喜びを、経過もふくめてご報告したいと思います。

1月4日の退院日はかなり歩きましたので、5日はほどほど休養。6日は両杖ですが、ちょっとした買い物、母の入所施設訪問、市役所の用足しとつづきました。7日は疲れのためか、下肢が重いので、用心とって寂しく自己マッサージしながらなるべく休養。

8日はついに仕事日。さあ、イヨイヨだぞ、と、朝から横になったまま、新たな我流もくわえて思い切りストレッチや筋トレを一時間。立ってみたら、アララッ右下肢にキーンと痛みが走り、力がまるで入らない。シマッター、やってしまったかー!

杖で足を引きずりながら、あわててしばらく飲んでいなかった鎮痛剤を口に放り込み、ともかくも診療開始。しかし、座っている限りはまったく痛みはありません。「長い休みでしたねー」という声には「いろいろと直すところがあったのでね」とニタリ。(入院中に診療所のトイレなど、プチ改装してもらっていたのです)

しばらくして気がついてみると、以前と比べて、なんとリラックスして楽に仕事をしていることか!どうも以前は必死に、無理に体を凝り固めて耐えていたらしい。同じ場にたって、はじめて気づいたことでした。やがて、立って数歩の距離移動は、ゆっくりですが、痛みも杖もなく可能になっていました。

低い姿勢をとるときにしゃがむ勇気はまだなく、中腰をつづけた時に、ちょっときつい思いをしましたが、結局、50人ほどの患者さん、切開その他の処置もふくめて支障なく、かえって前よりはるかに楽な気分で診療を終えることができました。バンザイです。

両股関節術後1週目に私が杖なし歩行をしているビデオを、娘がfacebookにアップしておりました。娘の友人たちの近縁に同じ手術を受けた人もいるらしく、「どこの病院?」という声もあったので、病院名と、なにより平澤先生のGod’s handsのすばらしさと、リハビリの優秀さをコメントにいれておきました。

それともう一つ、娘が、「母さんの話、文句も言わずに黙って聞いてくれる人たちがいたのが、最高に幸せだったんじゃないの~?」というのですが、その通り、あんたたちがフンとせせら笑う話に、「それで?」と答えてくれる人たちがいるよ~!と云ってあったのです。

PTのみなさま、理学療法でたいへんお世話になったばかりか、おしゃべりおばさんの馬鹿話に、よくぞ2週間、耐えてくださいました。ほんとうに感謝します。楽しかったです。

そのようなわけで、今のところしゃがんだ姿勢から立つには、床を手で突き放すようにしなくてはなりませんし、また、短距離の杖なし歩行は可能ですが、よほど臀筋引き締めや重心移動を意識して歩き始めないと、大腿にまっすぐ重心が乗らないらしく、いつのまにか左右に揺れるヨタヨタの醜いアヒル歩きになっています。さらに、大腿や膝上の筋力はまだまだで、すばやくブレーキに足を乗せられるか分からないので、車の運転はまだ控えています。

しかし、焦らず、しばらくは教えられたトレーニングを地道につづけ、次の診察にはより美しい歩きで伺いたいと願っています。

歩けず、いろいろなものが不可能になっていたものが、こうやって直立歩行して、畑仕事も、大工仕事も、遺跡巡りも再び自由にできるかと思うと、まるで夢のようです。平澤先生、そしてスタッフのみなさま、すばらしき第二の人生、本当にありがとうございました。

何でもできる痛みのない生活

I.N. 様

昨年4月4日、股関節の手術をしていただきありがとうございました。

この年で初めての手術。手術前の不安な時、そして時間がすぎても呼ばれずドキドキでした。その時、先生が病室へいらして「遅くなりましたがそろそろですよ」… 少しほっとしたのを覚えています。

手術室へ連れていってくださったナースの方、不安な私のサポート最高でした。その後のリハビリも鈴木さん、片岡君と、皆さんにもとても良くしていただきました。手術をして1年たち、何でもできる痛みのない生活、とてもとても嬉しいです。

どうしても、がまんしてしまう私の年代、先生が日本人はがまんしすぎと言った言葉、その通りですね。家の近所の人が足を痛そうにしていると、平澤先生の所へとついつい話してしまいます。

私の2003年から続けているボランティア(朝、子供達の通学路の立哨当番)も痛かった時はやめるつもりでしたが、今も元気にさせていただいています。本当にありがとうございました。私の息子と同年代?の先生、これからも、ず~とよろしくお願いいたします。

手紙を書かない私ですので、私の気持ちが伝わればよいのですが…